水ガラス投入で原発の汚染水をようやく止めれたそうで。(ら抜き言葉w)
いちばん最初の対策で高分子ポリマーを投入した翌日、政府からは「効果は見られなかった」って発表があって。
そしたらネットで「使用したポリマーは海水で固まらないタイプ」って暴露されてて
「ごめんちゃい」にも程があるだろ と。
いったい、どういう人らが原発を管理してたのか頭を抱えたものです。
さて、水ガラスって何ぞや?って思った人が多いかと思うけど、土木工事現場とかで地面を掘った後に使ってたなぁ。
水あめみたいなモンらしいいです。
そう思い出したでござる。
学生時代のバイトで、事情があって ほんのひと夏だけ「道路工事の旗振り」してました。
その事情ってのは親の転勤。
静岡(駅南 曲金)に住んでて、既に父ちゃんが単身赴任してた名古屋熱田区に引っ越すことが決まって。
高校時代の友達とか、バイト先のみんな(今でもガンガンCMしてる某引越し屋)に送別会を開いてもらって。
で、夏休みに突入して。
当時、東京で学生してたんですけど「名古屋の実家」に帰って。
「初めて行く実家」って何だか変w
で、家でダラダラしてるのもアレだからバイト先を探して。
そしたら「道路工事の旗振り」しか無かったわwww
で、それやってたんですけど 猛烈にヒマ。
とにかく炎天下、道路っ端で旗振ってるでしょ。
一日が長い長い…
「来年、就職する時は絶対にヒマな仕事は避けよう」って、
道端でヘルメットをかぶった頭の中で決心しました。
いや、人それぞれ「向き・不向き」があるから、僕に適性が無いだけですけど。
ある日「夏休みの終わり頃に静岡へ戻るぞ。また転勤だわwww」って父ちゃんから聞かされて
「バイトから合理的に開放される」って半分は安堵したものです。
残りの半分は「ちょーーーーー照れくさwww」よ。
送別会してもらって、翌々月に「また戻ってきました」ってwww
「新しい実家」は北街道沿い 銭座でした。
その因縁の会社に紆余曲折して自分も入ることになったのは自分でも驚いたです。
今日は11時から新規のヒアリング。
僕が辞めて3年目の「因縁会社w」の先輩らと合同オペレーションです。
昼前だから、昼食も先輩らと一緒になるパターンかと思われます。
僕ひとりだったら社会から相手にされないです。
だけど、こうやって今も変わらず支えてもらえるので「のほほん」と生活できます。
とても幸運なことです。