小学生だった頃、同じ練馬の社宅の数家族と連れだって、新宿経由で井の頭公園か小金井公園か、あの辺の菖蒲だか「あやめ」だか「かきつばた」だか、いわゆる沼に生えている紫色の花をつけるニラのでかいのみたいな草を見に連れて行かれた。
小学校の時って近所で「子ども会」っちゅうグループを組んでたでしょ。
あれだけどさ。
でも、小学生の男子がそんな花を見に行っても何も面白くないんだよね。
かといって、当時の自分に「拒否する」という選択肢は無かった。
そういう発想そのものが無かったように思えます。
新宿経由だったのを覚えているのはロマンスカーのホームが独特の鉄筋の組み方でさ。
ん~
なかなか幼少の頃から変な所に着目する小僧だったな。
天気は今日みたいに曇天だった。
んで、つまんね~日程で唯一覚えているのが「流しそうめん」
「そうめん流し」とも言うね。
あれは子供心に面白かったんだけどさ、すぐに「つゆ」が薄まるんだよねぇ。
たしか「追加のつゆ」は有料だったので子供ながらに遠慮して薄くなっちゃって情けない味しかしない「つゆ」で我慢して食べていたわ。
時々、ガバッと大きなカタマリが流れてきたり。
んで、竹製だったかプラッチックだったか覚えてないけど「とい」のいちばん下流に金属製のザルがあって、時々はっぴを着たお兄さんが上流に持って行くんだよ。
今でもそんな事してるのかね。
そんなの、赤福を責められないぞ。
で、少年網も大人になって。
息子らが幼児だった頃、清水の山奥の両河内っていう所からさらに山奥に車を走らせて適当な沢を見つけて
「沢まるごと使って流しそうめんをやろう」という画期的な思い付きを実行したことがある。
たぶん前の晩に酒でも飲んでて思いついたんでしょう。
人生、「動機」はそんなのばっか。
沢の水を鍋に汲んでコールマンのガソリンストーブでそうめんを茹でて。
でもさ、外だと人間にはほぼ無風に感じても微妙に風があって火力が出ないのよ。
つまり麺を上手に茹でられない。
で、その出来損ないのそうめんを小さな滝状になってる沢に流すけど子供らは上手につかめないし。
結局、なんだか残念な流しそうめんだった思い出があります。