というわけで7月に入ったのに
まだ泳いでいないって
僕の人生的には珍事です。
雨も降ってるし、今日は読書でもして過ごすかな。
晩は、いつも連れ回してくれる某社長と7時に鳥羽駅で待ち合わせてホテルで会食のお誘いを頂いております。感謝。
さて、こいつが昨晩話題だった1400キロカロリーのメロンパン。
というわけで話し変わるけど僕が高校の頃は毎週土曜が半日授業だったから。
あぁ、一応 こっちでも高校に行ってたのよ。1回目のw
で、電車通学で
最寄の駅は乗り越して、繁華街のある市の中心に社会勉強しに行くのが日課でして。
当時の街は、いつでも賑わっていましたよ。
決して「思い出補正」なんかじゃなく
人が多くて、まっすぐ歩けない。
現在の伊勢市街は
そんな市の中心の繁華街も、今ではゴーストタウン化しまして
軒並みシャッターが閉まった商店、廃墟ビル、
あれから30年近く経って悲惨なものです。
原因は大きくわけて2つあって
ひとつは、こっち特有の理由。
単純に景気が落ち込んだこと
その、こっちが華やかだった時代は真珠屋が林立してまして
もう伊勢って言えば神社と真珠屋だらけ。
伊勢より奥地の鳥羽や志摩は真珠の生産地で、
観光客が全国から集まって、地理的にも鳥羽と志摩の合流地点の伊勢は真珠の集散地だったわけです。
真珠って、もともとは天然物を海から拾ってきてたから、めちゃめちゃ希少だったんですよ。
特に真球のやつは今でこそ「あれが真珠」ってイメージだけど
天然物の多くは真珠用語でバロックって言う、いびつなヤツが普通なのね。
なもんで、当時は真珠のなかでも真球のが、いちばん価値が高かった。
それを、こっちの御木本 幸吉(みきもと こうきち)っていう人が真珠養殖の技法を確立して。
昭和天皇と会談していたら話が盛り上がっちゃって、うっかり「あんた」って呼びかけちゃった武勇伝がある人です。
で、当時はミキモト真珠を中心に、この辺一帯が世界規模で独占的に真珠を扱っていたわけなんですね。
というわけで林立している真珠屋が街に金を落とし
それが循環して街が賑わい、地域全体が潤っていたわけなんです。
田舎の生活様式が大きく変わった
それと、もうひとつが
モータリゼーションの発達で田舎は成人ひとり1台自動車所有。
これは日本中どこでもそうでしょう。
ド田舎では、多くの人が公共交通機関なんか使わない。
親がそうだから子供なんかは「使えない」わけです。
写真には人がほとんど写ってないでしょ。
これで土曜の午後、駅周辺。
かつての繁華街だよ。
わざと人がいないのを写したんじゃなくて
無作為に写した結果、誰も人が写ってないwww
まー実際に人がいないから
写りようが無いんですけど。
さて、来年は20年に1回の遷宮とあって。
あぁ、神宮は20年に1回、右、左と建て替えるんですわ。
で祭祀に使う道具から何から全部新品に替えちゃう。
そうやって「信仰の対象が、ずっと朽ちない」ってのは国際的にも面白い考え方でしょ。
それと、土木やら建築なんかの大物から
宮廷グレードの装飾品、衣料など小物まで全部替えるから
「技術が絶えない」っていう副次的なメリットもあるんです。
で、遷宮があると伊勢は経済的に持ち直すって商売やってる連中らは言いますけど(苦笑
なんか、とりとめのない話題で お粗末さまでした。