昨日の午前中の仕事(納品・取り扱い説明)が
想定より大幅に早く済んだので
昼めし食べて午後から予定のお客さんのところに行くつもりのところ
時間が余りすぎてしまったw
というわけで、松阪の奥地を少しドライブして心の洗濯
てか、心の洗濯ばっかりやってて
もうボロ雑巾みたいになってしまいましたわ。
「本居宣長(もとおり のりなが) 奥墓」の標識が目について。
そっち方面に行ってみました。
途中で、目が覚めるようなオレンジ色の花を見つけたので撮っておく。
結局、その墓に行く道は途中から細くなって
「車で入ると大変だぞ」オーラを放っていたので
まだターンできる広さのところで諦めて引き返しました。
そんなんで午後からの商売に影響出たら、あかんでしょが。
恥ずかしながら
「本居宣長という人は松阪出身の国学者で鈴コレクター」
その程度の知識しか持ち合わせていなかったので
仕事を終えてウチに帰って調べたら
あらやだ
その生涯で
いろいろな方面で好きなことやってた人だったのね。
一気に親しみを持ってきました。
断念した墓参(というか見物)は、後日態勢を整えて再チャレンジします。
そうそう、直接 宣長についてじゃないんだけど
彼の門弟について
天明年間 (1781~1789) の末頃から増加する。天明8年 (1788) 末のまでの門人の合計は164人であるが、その後増加し、宣長が死去したときには487人に達していた。伊勢国の門人が200人と多く、尾張国やその他の地方にも存在していた。職業では町人が約34%、農民約23%、その他となっていた。
というwikipediaの記述を読んで、
百姓が学問してる!
これ、欧米の人が知ったら驚くでしょうね。
この頃はヨーロッパとかで農民なんて今の人権感覚じゃ「人」じゃなかった時代だよ。
日本は、昔から いい国ですな。