東北の被災地を見てきました
さて、花巻、北上、奥州、八幡平、盛岡と内陸部を転々としまして。
いよいよ沿岸部に移動です。
沿岸部と言うより被災地・・・
以下、写真がダラダラ続きます。すみません。
釜石市街地
海のすぐ近くにある駅は新品。
流された後に建て替えたんでしょうね。
東京で言うなら丸の内のオフィス街。
ちゃんと建っている建物の多くは新品。
意味、わかりますよね。
東京で言うなら丸の内のオフィス街。
こちらも、同じく東京で言うなら丸の内のオフィス街。
右側は、すぐ釜石湾。
道路が隆起しているのは何でしょうかね。
釜石湾の面した港湾事務所みたいな建物にある青いプレート、ここまで波。
というか正確には、ここまで海面が上昇していたらしい・・・
両石地区
釜石の北にある小さい村
村丸ごと、ほぼ全滅
がれき
水海公園。
白い砂に青い海、美しい場所です。
鵜住居地区
プレハブのホームセンター。
このホーマックというお店は、あちこちで見かけました。
こっちでメジャーらしいです。
もちろん、あちこちで見たのはプレハブと違って普通の店舗です。
プレハブのパワーセンター・・・
プレハブのスーパーマーケット。
こうやって、飲み屋、食堂、弁護士事務所、床屋などが軒を連ねています。
大槌町
釜石市の北にある場所です。
- 震災の時に火災があって町全部が焼けた。
- 町役場が流された際に町長も殉職した
の予備知識でしたが・・・
上下の横長写真はパノラマで周囲ぐるりと撮りました。
そこそこの規模だった町が全滅です。
広い荒野のどこに移動しても「かつて家だった」跡
「かつて家だった場所」にメッセージ
笑えないシュール
少しだけ気持ちが救われたのが、ピンクのリボン。
「かつての家」跡に生存者が転居先を書いて残しています。
町長以下多数の職員が殉職した役場。
モニュメントとして残すか検討中らしいです。
以上
長々と ありがとうございました。
あれから2年以上も経つのだから、そこそこ復興しているだろうと思ったら
全然復興していませんでした。
コンクリの基礎。
かつて家があった形跡が密集しているのですが、ただただ荒野。
実際に現地に行って
映像や写真では決して伝わらないものを感じました。
それと、津波でたくさんの命が失われた後
報道されていませんが
様々な理由で自ら命を絶った人たちの事もいくつか聞きました。
いつか、このブログに書くかもしれません。
最後に、被害を経験した人たちが口をそろえて僕に言ったのが
「もし、このような大災害に遭ったら自分だけが助かるようにすること。
離れた場所で災害に遭っている大切な人は、その人なりに難を逃れているだろうから
そして、きっとまた会えるから、だから自分だけが助かるように逃げること」
だそうです。