遷宮が佳境に入ってきました
昨日は神宮の遷宮に関する行事で「白石持ち」ってのがありまして。
経緯を書くと長いので省略しますけど
昨日の朝、ブログを書き終えて、みなさんのトコに寄らせてもらって
その後「もしや!」とヒラメキがありまして
10年くらい前に子供らの為に買っておいて結局使っていないハッピの存在を思い出して
サイズ合わないだろと思いつつも念の為に袖を通してみたら
「イケるやん」
それが朝の7時過ぎ。
というわけで、急遽7時半公民館前集合ということで行ってきましたよ。
近所の「007の上司のMに似たオバチャン」と一緒にw
五十鈴川に浸かったまま神宮へ向かう
公民館前には「ウチの村って、こんなに人がいたのか!」ってくらい人が密集していて
少壮会(少年・壮年会?)が音頭をとって、川までゾロゾロと行進して
川原で付近の4村と合流して
内宮の地面に敷く白い石が大きな樽に入れてあって、それをソリに載せたのを川にザブンと入れて
それを町民みんなで引っ張って、上流にある神宮まで持っていって。
いや~楽しかった。
1キロくらいの行程、掛け声を出しながら綱を引っ張って、途中で何度もみんなで水をかけ合ってね。
暑いからさ、気持ちよかったよ~。
神宮に到着
で、内宮の敷地に到着して。
そこから白い石を1人2個ずつ白布にくるんで手で持って
まだオープン前の
神宮正殿の地面に置いてくるんだけど
「まさか」とは思ったが
その「まさか」でしたわ。
神宮正殿って参拝に行っても、幾重の塀の中にあって
まぁ、せいぜい屋根くらいしか見えない。
たまに「塀の中に入れてもらった」って人がいるけど
お金を払うと入れるのね。遷宮の造営寄付を。
(デスコみたくドレスコードがあるらしい)
それでも、入れるのは塀1枚ぶんさ。
本当に中心部ってのは、皇族と神職くらしか入れない。
なぜかマジ泣きした
まぁ、僕はそういう部分にネガティヴな感情を持っているのはあったけど
ここに住んで12年、ずっと考えてきて「日本国民で、それはあかんやろ」ってのと
「町民として、行事に参加しないのはあかんやろ」って2つの理由で唐突に参加しはじめたワケですけど。
もうね、塀の中(神道用語で垣内というらしい)凄いのなんの
「これが日本2000年の最高峰の建築か!」って
最高のヒノキを最高の技術で組んで
それを見てたら
なんか、よくわからんですけど泣けてきたです。
そうそう「何事のおはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」っていう有名な句。
これ、ウチの村の最も有名な住民だった西行さん(元永元年(1118年) – 文治6年2月16日(1190年3月23日))の句で
日本人の「かたじけなさ」を説明する際の定番ですけど
技術を通して、日本の歴史、文化、伝統がズン!と心に響きまして
それで涙が出てきたのかね。
てなわけで僕が10代の終わり頃にネズミ園がオープンする前に
近隣の浦安市民を全員招待したのを思い出しましたけど
NEW神宮は10月6日 朝5時オープンです。
「中には僕が置いた石も2個あるんですよ」って他人に言いたいw
言いたくて仕方がないw