自然の、それはそれは雄大で繊細で素晴らしい美しさを全身で感じたり。
自転車で走っていたら夕立に見舞われて
ふと雨宿りで寄った近くの神宮徴古館(博物館)や神宮美術館で「人の手による」美しいものを観たり。
特別な場所に行かなくとも
日用品や農産物に美しさを感じて立ち止まったり。
心のアンテナを立てていると
それだけで楽しいのですけど
でも、それで気分がよくなって
ニヤニヤしながらスーパーのかごを持って歩いている自分は醜悪なんだろうな・・・
とか考えます。
まぁ、それはそれとして
たとえば美しいものを作ることで生活してる人がいて
どんなに美しいものを作れても
それの受け手がいないと
それを美しいと感じて、お金を払ったりする人がいないと
それは商業的に「美しい」とはならないわけです
本人が、いくら「美しいぞ。どうだ」って思っていても
それで食べていくことはできないのです。
って考えると「作家の先生ってのは評価する側あっての商売だな」とか思いますし
そうやって市場はできてます。
でも、それを評価する側にも
心の中に、「それを受けとめる何か」があるわけだし
ましてや金を払うとなると
言い換えれば、「その金額を得た自分の労働と引き換える」というのが買うことですから
それは、それなりの覚悟が要るんですけど
よくある、他人の評価をもとに会社の金で美術品を買うとか
いかがなものかと思いますけど
商業的には、そういうのも儲かってありがたいんでしょうね。
とか論点不明のことを書いてすみません。
商業的なのは、いいやw
タダなの。
さぁ探しに行こう。
暑いですけど、夏は夏だけの美しさにあふれてます。