金曜の朝は巡回を終えたら
高速道路に乗って
生まれ故郷の尾鷲に仕事しに行ってきました。
高速道路を走ってると父ちゃんから電話があって
父「身体の具合が悪いんや。すぐ来てくれ」
僕「無理!高速道路でターンできない」
すると父ちゃんの電話機を母ちゃんが奪って
母「TVが壊れて映らくなっただけだから。気をつけていってらっしゃい」と。
電気屋も呼んであるそうです。
どこが「身体の具合が」やねんっ。
嘘ついて、何が何でも構ってほしい父ちゃんwww
生前は寡黙な人だったんだけどねぇ。
あぁ、まだ生きてるわ。
ってなわけで
県深南部の尾鷲は幕藩制だと紀州、紀伊の国であります。
紀州っていうと一般的には和歌山が思い浮かぶでしょうけど
三重県深南部も結構広い面積が紀伊なんですよ。
紀ノ國。
紀伊国屋文左衛門で有名ですけど
その語源は「木の国」だから紀ノ國って律令で定められたとか聞いたことがあります。
そこから1300年経った今でもあんまり変わらんわwww
子供の頃、毎年 夏休みの半分は母ちゃんの実家に居候していて
毎日かよって遊んでた磯です。
隣には大きな砂浜もあって
ほか、川もあるし~。
気分で選べるんですわ。
それって今も一緒かw
釣り、海水浴は当たり前で
トコブシ(アワビの小さいのの感じ。本当は別種だけど)とか
チャンポコっていう小さい巻き貝を沢山とって
(学名でイシダタミ)
婆ちゃんの家で塩茹でにしてもらっておやつにしたり
カニ獲ったり。
いとこがタコ捕まえてたの、羨ましかったな。
そうそう!
真冬にここで50~60センチくらいの大きなボラを
(自分の身長の半分近く!)
手づかみで捕まえたことがあったよ。
夕暮れ、叔父達は酒宴を始めてて
そこに大きなボラを下げて僕が帰ってきて。
あれは誇らしかったです。
演歌に興味は無いけど
漁港の風景は自分にとって原風景。
もちろん家系図とか残ってないけど
地理的には高確率で祖先は漁民だったでしょうから。
DNAが騒ぎます。
というわけで仕事じたいは30分で終えて
せっかく遠くまで来たので墓参りして
近々父ちゃんが行きますのでヨロシクって。うそうそ。
で、同じく遠くまで来たついでで
母ちゃんひとりに父ちゃんの世話させてて
少し罪悪感を感じつつ
どうしても辛抱できず、ほんの少しだけ川に泳ぎに行ってきました。
もうね、水の中では自由なんですよ。
まるで空を飛んでいるみたいに泳ぎ回れて。
至福の表情で泳いでたり潜ってたりするオッサン。
水族館にもそんなの居たな。
だけど人が少ないから人目も気にならないw
清流のなかで、いろいろ自由。
というわけでリフレッシュできたので
高速道路をブッ飛ばして親の家に。
母ちゃんと交替して買い物に行ってもらったり
父ちゃんを風呂で洗ったり
手際よくご奉仕。
で、ご奉仕を終えたら
「夕方か晩に行けると思う。努力する」
って待たせてたお客さんの所に行ってひと仕事。
そしたら松阪肉をくれました。ありがたい。
ささ、上の方で緑っぽい画像ばかりだったので
赤い画像でもどうぞ~
「肉よこせ!」ってか?